自分自身の大学受験は、塾や予備校に行かず自宅で勉強するという生活でした。いわゆる「宅浪」ですね。

なぜそのような選択をしたのかというと「先生の話をずっと聞いている」というのは自分の集中力では絶対に無理だとこれまでの学校生活で痛感していたからです。それができずに、高校の授業はできるだけサボってしまっていました。。

話を聞いている時間は、自分の頭はあんまり働いてません。なので、志青塾は全ての学年で講義形式の授業はやっていません。

授業はいらない

そんな自分が、これまでと同じように取り組んでも結果は出ないなと考えました。また、現役時代に取り組んでいた日本史の勉強では、授業を聞かなくても自分で進めてある程度結果が出ると感じていました。

だから、有名な先生の神授業なんてものはまったく必要ないと今でも考えています。一番大切なのは、何を、どれくらいやるのか。そして、他の受験生には持っていない強みを作ることです。

そう考えていたので、これまでは志青塾の学習でも、基本的には自宅で勉強して、分からないところを塾で質問してもらうようにしていました。進め方を伝えて、迷うところは相談しながら取り組んでいく、という方法が良いと思っていたんですね。

私は当時相談できる人がいなかったですが、塾の生徒は私に相談することで進めやすくなるだろうと。それで、家で頑張るのが一番だと考えていました。

授業はいらないけど、家では集中できない

ところが、です。家でやっているとやる気が出ない。家では集中力が続かない、という相談を受けるようになりました。それって気持ちが弱いからでは?本当に合格したいの?と考えていたのですが、今なら分かります。

それは、脳の仕組み的に無理なことなんです。人間も生き物なので、最優先するのは生き残ることです。生き残るには、負担をかけずに過ごすことが大切です。うちの犬なんて、1日20時間くらい寝てますからね。

だから、いくら努力をした方が良い、勉強したら目標に近づけると頭で分かっていても、体の機能に抗えるわけないんです。それは、気合を入れたら眠くならない、お腹が空かない、と言っているようなものです。

大前提として、無理なことをやっているということです。そうでなければ、全員の目標が叶うことになります。でも、そうはなっていないですよね。目標というのは、達成できないのが普通で、達成できたらすごいって思われてます。だから、基本的に頑張ることには無理があるんですね。

塾の存在意義

でも、塾に来れば頑張れる、塾なら集中できる、という感想を本当に沢山もらいます。やはり、誰かに見られていること(誰にも見られない時と、誰かがいる時の行動って違いますよね)、そもそも休もうと思っても休む場所がない(塾にソファやベッドはありません)、となったら、行動は変わります。

志青塾では普通の授業は行っていませんが、こうしたところに塾の意味があると考えています。集中して勉強するための場所、効率的な進め方を伝えること、勉強の不安を取り除くこと。これが、塾や予備校に行かなかった私自身が、塾に感じている意義です。

喜びは何から生まれるか

大学に行くのが偉いとか、勉強するのが素晴らしいとか、そんなことはもちろん強制しません。頑張ることは、そもそも生き物には無理があります。ただ、私が伝えたいのは、頑張ったら楽しいことが起こるかもしれない、ということです。

一生忘れられない楽しいこと、喜べることって、普段の生活ではあんまりないですよね。コンビニでグミを買っても、それを後生大事にするって人はいないでしょう。なぜか?簡単に手に入るからです。

簡単に手に入る喜びは、簡単に忘れます。でも反対に、それを手に入れるのに時間をかけて、苦労して、工夫したものって、その分喜びが大きくなると思いませんか?そうやって生きたら、人生が楽しくなりそうだと感じませんか?結局はその時間も楽しい。つまり、忘れられない喜びは大変さから生まれるということです。

そもそも頑張ることには無理があるけど、だからこそそれが楽しさや喜びに繋がる。あなたがその一歩を踏み出すきっかけとしてもらうこと、これが私が塾をやっている理由です。

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